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ご無沙汰です。

Arrows

このブログも初めて2年をこえましたねぇ。
最近書くペースもすっかり落ちましたが・・
まぁ、もともと気が向いた時に書こうとおもってたので、あんまり気にしないスな、ハハハ。

仕事もプライベートも盛りだくさんで、最近は家に帰ったら寝るだけです。布団の面積があれば生活できますワ、うはは。

と言う事で、今の気分は上の写真の感じですかね。(Steve Khanの「Arrows」のジャケット、FOLONの絵ですな。)

ちょいと気分転換に釣り友達の(つか人生では先輩ですが・・)枯れっぺさんからもらったバトンなんぞを・・・

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タンブレロ

20060511sena

タイトルで何かわかるひとはF1フリークですな(^^;

興味ない人にはただの長文かな?
とりあえず「自分の防備録」と言う事で・・

尚、古い話なので、間違ってても許してくだされー・・・

連休でバタバタしてて日記にはかけなかったけど、忘れたわけではない。5月1日はセナの命日。

1994年、当時程F1が面白かった時代は無かったのかもしれない。アイルトン・セナとミハエル・シューマッハという、その後二度と現れないであろうと思われる突出した才能が、偶然にも同じレースで戦っていた頃。
同じマシンに乗っても、セナとシューマッハだけはラップが他と比べ頭一つ抜けて早かった。二人だけが全く違う次元で走っていた。

それと同時にF1の技術革新が一つの頂点に達した時代。
フラットボトムと大金をかけた空力処理に、この頃技術的にピークを向かえたリアクティブ・サスペンションの効果で、車はどんなときでも極めて安定して最強のトラクションを路面に伝えていた。
それに加え、セミオートマチック・ギヤ、トラクションコントロール等など。ドライバーの技術が入る余地は少なくなり、フラットボトムで極端に重くなったステアリングをまわす為のプロレスラーのような腕力があれば、誰でもある程度のタイムを出せていた時代でもあった。

そんななかでも、セナとシューマッハーは、天才的なライン取りとアクセルコントロールそしてレースの駆け引きで、常にトップを争っていた。TVでアナウンサーが彼らを「Another Planet」と形容していた通り、二人とも他と別の走りをしていた。

たしかこのとき、セナ悩んでいた。長年パートナーシップを持ったホンダと袂を分かち、当時最高の技術水準をもったウィリアムスに移籍したのだが、技術革新にストップをかけたいF1運営者側の意図で改定されたレギュレーションにより、思った成績を上げられずにいた。そんな焦りもあるのか、この1994年5月1日のサンマリノ・グランプリでも神経質な表情が見て取れた。

(なぜこの年のウィリアムズの戦闘力が落ちていたのだろう?これを思い出せないんだナァ・・フラットボトム規制だったかな?)

そんななかで、常に鬼神の様にラップタイムをギリギリまでそぎ落とすかのようなアグレッシブでかつセンシティブな彼の走りは、ストイックであり、見方によっては悲壮にも見えた。台頭してきた若い才能の足音におびえ、タダでさえギリギリに落としたウエイトをさらにそぎ落とそうとするボクサーのようでもあった。

レースは序盤から不穏な雰囲気で包まれていた。
予選でルーベンス・バリチェロがコースアウトしてバリアに突っ込み、意識不明になる。同じくコースアウトしたローランド・ラッツェンバーガーが死亡する。高速サーキットとして知られていたサンマリノだけに、事故は重篤な結果をもたらす。しかし、これほどに犠牲者が出たレースは無かっただろうと記憶する。
当時カーボンモノコックの技術が発達し、どんな事故でもほとんど犠牲者は出ていなかった。派手なクラッシュでも、ドライバーが自力でピットに帰って行く姿を何度もみていた。恐らく皆、こう事故が重なる事に異常な雰囲気を感じていたのではないだろうか・・

レースは予想通り、セナとシューマッハのバトルで始まった。先を行くセナ、ストレートで差を詰めるシューマッハ。マシンの戦闘力はやはりセナのウィリアムスに少しハンディがあったのだろうか? お互いにスキを見つけてはカミソリで切りつけるような、まさにタイトロープのようなバトルが数周繰り広げられる。曇天のサンマリノの空が、さらにそのバトルの空気を重くする。

TVカメラはシューマッハのマシンのオンボードだった。シューマッハの視点で僕らはレースを観戦していた。シューマッハの視界に見え隠れするセナ。
次の刹那、シューマッハの右のバックミラーに砂煙が写る。「タンブレロ」と名づけられたスピードが出る緩やかな左カーブのコーナだったので、クラッシュであることは容易に想像できる。アナウンサーも言った、セナがクラッシュしたのだと。
時速300km超でコンクリートの壁に激突したのだ。奇しくも、数年前にゲルハルト・ベルガーが同じ場所でクラッシュし、車が火災を起こし命からがら逃げ出したところ。

その後、TVのナレーションの語り口がいつもと違ってくる。セナの様態が重篤らしい。救助のヘリコプターが到着する。病院からのレポートで、もう復帰してもレースが出来ない身体だと知る。

その後レースが荒れる。ピットにレースカーから外れたタイヤが飛び込みけが人も出る。正確に覚えていないが、クラッシュした車の破片が客席に飛び込みけが人が出たのもこのレースだったか・・。それでもレースは続く・・
最後勝者が誰だったかもあまり記憶に無い。それほどまでに荒れたレースだった。

レースが終わり、夜TVでニュースを見る。アナウンサーの第一声「Ayrton Senna was dead」・・・

その後各地のBBSでも情報が飛び交い、追悼の言葉が書き込まれる。それをみて正直涙が止まらなかった。ボクも書き込みをした。

事故の原因は、イタリアで裁判沙汰になった事もあって徹底的に調べられた。最後まで正確な事はわからなかったが、重いステアリングに嫌気を差したセナが、ステアリング・シャフトを削って軽くさせたらしい。ゆるい左コーナーで猛烈は横Gが掛かるほどの場所で、当然操舵系には異常な負担が掛かっていたと思う。削った部品が破損して、操縦不能になったらしい。

F1の技術革新によって異常に重たくなったステアリングを嫌い、その結果の事故だった。技術革新の先行したウイリアムズのマシンに対して遅れていたホンダのマシンで対抗して勝って来たセナが、その技術を求めウィリアムズに移籍し、最後はその技術に拒絶されスポイルされていったかの様にも見える。

この事故後、当然の結果ながらF1界はシューマッハの独壇場となり、彼一人の時代が続いた。戦う相手を失った彼は跳ね馬フェラーリに移籍する事が唯一モチベーションを維持する手段のようにも見えた。しかしそれはさらに彼の一人舞台を演出する結果にもなった。

急速に面白みをなくしたF1にボクも興味をなくし、その後あまりレースを見る事もなくなった・・

真剣勝負と言うものが、これほどに渇きを覚え、鋭い痛みを伴うものだと言う事を、このシーズンのセナとシューマッハの関係でボクは覚えた。戦うものがお互いにストイックであればあるほど、その渇きと痛みは増す。もうこんなバトルを見る事は一生ないんじゃなかな?・・・

今でも高速道路を走るとき、ゆるやかな左カーブでアクセルをふかし気味にし右のミラーを見る癖が治らない、
見えるのは高速で流れていく中央分離帯だけなのだけど、
そこには、あの日シューマッハーのミラーに写った砂煙はまだ見えない・・・

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